所沢JCヒストリー ~所沢青年会議所の軌跡~
所沢青年会議所は1964年に埼玉県で7番目の青年会議所として生まれました。
愛する故郷をもっと良くしたい!
そう強く願った若者達の情熱は世代を超えて引き継がれ、約半世紀もの間、まちの変遷とともに所沢青年会議所の活動も変化を続けてきました。
その歴史を「所沢青年会議所の軌跡」として纏めました。
-
1964年 初代理事長 田畑 俊郎
所沢というまちをもっと良くしたいとの想いで65名の地元を愛する若者達の手によって埼玉県内で7番目の青年会議所として発足しました。全てが手探り状態でしたが、その熱意が今なお息づいています。
1965年 第2代理事長 関口 達男
日本青年会議所への認承証伝達式記念式典が挙行され、県内外から多くの方の参加を頂き、所沢青年会議所の創立を多くの方に認知していただいた年となりました。
1966年 第3代理事長 斎藤 慶夫
この年より所沢米軍基地と市民の交流が始まり、所沢市は親善訪問団を結成する為の審議が行われました。議会傍聴等に積極的に参加した事で、青年会議所メンバーもその団員に選ばれる事となりました。これが所沢米軍基地返還運動の始まりとなり、この年から続く活動・運動の原点となりました。
1967年 第4代理事長 関谷 良一
この年から所沢市民に向けての花火大会がオリンピック大会で使用されたクレー射撃場にて開催され、3万人以上の市民が来場されました。その他、基地返還運動市民大会を開催する等、基地返還に向けて市民活動が大々的に行われました。
1968年 第5代理事長 鈴木 英昭
所沢市が県内6位の人口を有する中核都市となり発展を続けていました。この年には新市庁舎建設が始まり、青年会議所は市に対し掲揚塔に掲げる国旗、県旗、市旗を贈りました。
1969年 第6代理事長 荻野 賢司
第2回花火大会を所沢米軍基地内で開催しました。通常は基地に入る事が出来ない状況の中、メンバーの働きかけによって実現しました。基地返還運動も引き続き行われました。
-
1970年 第7代理事長 戸ヶ崎 実
この年より所沢青年会議所の例会が月1回から月2回に変更されました。昨年に引き続き行われた花火大会では基地返還が近くなってきたことからMP(警備隊)が朝霞基地に引き揚げてしまい、当日朝霞からMPを派遣してもらい開催しました。
1971年 第8代理事長 木川 静夫
この年の活動では青少年健全育成に重点を置き、青少年問題に真っ向から取り組みました。また、これまで所沢青年会議所が先頭に立って行ってきた基地返還運動も大詰めを迎え、この年に1部返還の調印が行われ、敷地の60%が返還されました。
1972年 第9代理事長 肥沼 正之助
スローガン
「考える 行動する 若い力が未来を開く」
この年は前年に返還された米軍基地跡地の利用が最大の関心ごとでした。医療過疎地であった当時の所沢の状況を良くする為に、防衛医大誘致に向けた講演や署名運動を説教的に行い、行政を突き動かす事で誘致が決定されました。
1973年 第10代理事長 本柳 務
この年に所沢青年会議所は創立10周年を迎えるにあたり、記念事業として第1次ベビーブームを背景とする小・中学校新設に伴い、校庭を緑で埋め尽くそう運動を実施しました。「公害から学童を守りたい」との想いで市内小・中学校26校に公害に強いとされるマテバ椎の植樹を行いました。
1974年 第11代理事長 宮岡 寛
スローガン
「向上心を持って、公益に尽くそう」
社会人として全てのことに向上心を持って、資質の向上を目指し、明日の「より住みよい地域社会」づくりを目的とした運動は公益に尽くすという想いのもと行われました。また、米軍基地跡地利用問題について、公園に関する公聴会が開催され、現在の航空記念公園の名称が決定されました。
1975年 第12代理事長 田中 義高
スローガン
「現実を直視し知的な運動を起こそう」
この年は統一地方選挙の年であり、選挙管理委員会や埼玉県警の反対を押し切り、この頃では珍しい公開討論会を開催しました。青年会議所として政治的中立を保った上で開催し、県議選立候補者の方々に参加してもらいました。新聞にはこの公開討論会の記事が毎日のように掲載される事となりました。
1976年 第13代理事長 竹内 健二
スローガン
「新しい時代を拓くために」
この年第6回埼玉ブロック会員大会において所沢青年会議所が初主管を務めました。「心の連携・明日への埼玉見つめ直そう郷土の文化」というスローガンのもと開催された会員大会は、県内23の青年会議所から1000名以上のメンバーが参加し、盛大に挙行されました。
1977年 第14代理事長 関口 兼平
スローガン
「研こう我等、見つめよう明日の所沢」
この年、所沢青年会議所は社団法人格を取得しました。入間青年会議所の設立にも関わり、無事に認承証伝達式が行われました。事業としては所沢の交通問題を取り上げ、4月には交通少年団を結成し、市庁舎前をパレードしました。
1978年 第15代理事長 島田 孝男
スローガン
「参加 そして行動 創ろう 豊かな心の輪(和)」
所沢青年会議所創立15周年を迎え、記念式典を行いました。市民会館や文化会館にこれまでお世話になった方々をはじめ、各地青年会議所メンバーをお迎えし盛大に行われました。社団法人格を取得したばかりで新たな定款、諸規定の1年目となった事で苦労も多い1年となりました。
1979年 第16代理事長 小久保 昇
スローガン
「信頼と連帯 厳しい自覚 未来を築こう我らの郷土」
この年は12代理事長の田中義高先輩が関東地区協議会会長を務められた年であり、一丸となって支援を行った年でした。事業としては「幼児教育と父親」と題した講演会を開催しました。数年にわたり行ってきた青少年健全育成の元となる幼児教育に焦点を当て、その中の父親像を伝える事業を行いました。
-
1980年 第17代理事長 肥沼 興平
スローガン
「若さで考え 語り合う未来 心のかよう郷土づくり」
この年、市制30周年を記念して第1回ちびっこフェスティバルが開催されました。現在では相撲大会としてなじみ深い事業ですが、初年度は前年誕生した西武ライオンズの本拠地である西武球場にて選手の協力のもと、野球教室を開催しました。
1981年 第18代理事長 斉藤 新吾
スローガン
「ふれあう心の連帯でまもろう わが郷土所沢」
この年は「日本の安全と防衛」「青少年教育問題」の二つの問題に力を入れた一年となりました。この年より2月27日が北方領土の日に制定された事から、新所沢駅西口と小手指駅板口に北方領土返還シンボルタワーを設置し世論の意識改革を求めました。また、現在も続くわんぱく相撲大会の第一回大会が開催されました。
1982年 第19代理事長 末山 巌
スローガン
「わたしの郷土から広げよう 思いやりの心」
「すべてに思いやりの心を持とう」を合言葉に活動・運動を行う一年となりました。事業としては小さな親切運動が展開されました。お互いに親切にされたり、してあげることによって、環境の変化や精神的なゆとりを持つことができ、ひいては和やかな家庭、学校、社会が形成されることを目的として行われました。
1983年 第20代理事長 井花 照光
スローガン
「熱く語れ、明日の所沢」
所沢青年会議所が創立20周年を迎えたこの年は不況の真っただ中にありましたが、熱い議論を戦わせ皆がまちづくり団体としての役割を確認、認識した年となりました。また、この年に正式にOB会が発足しました。
1984年 第21代理事長 平岩 宗敏
スローガン
「翔け21世紀へ 総意と挑戦 ロマンある郷土づくり」
今まで築き上げてきた「郷土づくり」としての20年間の情熱を、来るべき21世紀に活かすために体系化し、地域におけるJCの在り方を模索し、確立させた一年となりました。「航空発祥の地ところざわ」として個性的な郷土づくりを目指し、「所沢航空発祥記念館」の建設推進運動がスタートしました。
1985年 第22代理事長 大木 敬治
スローガン
「求めよう所沢文化拡げよう豊かな心のまちづくり」
この年には市民への「航空発祥の地ところざわ」の認知度を上げるために、アンリー・ファルマン機を復元して「鳥人間コンテスト」への参加をしました。また、前年より交流を持ち始めた武生青年会議所と兄弟青年会議所を締結しました。
1986年 第23代理事長 安田 敏男
スローガン
「創造りあげよう所沢の未来 育もう誇れる街づくり人づくり」
「市民と共に歩むJC」をモットーに精力的に活動・運動に取り組んだ一年でした。「緑豊かな航空発祥の地」をテーマにした航空公園駅前モニュメント「紙ヒコーキ」の提言作成、駅舎のデザインやネーミング等を行い、市民の方々にも親しみやすく航空発祥の地を目に見える形で残す活動を行いました。また、現在の市民文化フェアの前身となった航空発祥祭を提唱開催し、12万人の市民を巻き込んだイベントを開催しました。また、市民主導で市民憲章を作成し、市議会に上程し全会一致をもって採択されました。
1987年 第24代理事長 内田 勉
スローガン
「創ろう 人 文化 若者のまち 起こそう 新しい 所沢の風」
所沢青年会議所が推し進めてきた市民憲章の制定、航空公園駅が開業された年でした。その勢いそのままに、関係諸団体の方々を新年会にお招きし、盛大に行いました。それが現在も賀詞交歓会として形を残しています。
1988年 第25代理事長 武藤 正
スローガン
「未来を駆ける 翼を求めて・・・」
「歴史」「感動」「未来」という3つのテーマに掲げ25周年を迎えたこの年は、先人の作り上げた成果を享受し、より多くの成果を生むべく、その時代に最も必要とされる行動を見極め、未来へとつながる運動を行いました。25周年記念事業では、劇団「東京ルネッサンス」による「銀河鉄道の夜」が英語劇で公演されました。
1989年 第26代理事長 斉藤 吉信
スローガン
「21世紀へ新たなる ことおこし 人・まち・こころ」
昭和から平成に改元され、消費税制度が導入されたこの年は市制40周年を迎え、所沢市の人口も30万人を超えました。また、市庁舎や駅前ワルツ等現在の街並みが出来始め、所沢の阿智のイメージがかなり変わった年でした。航空公園野外ステージでのまちづくりフォーラム「トトロのふるさと所沢」や、ロックとまちづくり迷路で市民フェスティバルを盛り上げました。
-
1990年 第27代理事長 新倉 明
スローガン
「新時代への扉が開いた さわやかに行動のとき」
この年は所沢青年会議所にとって大きい転換期となりました。団塊世代の卒業生が多い中での会員拡大による新入会員の増大、このような多くの会員の入れ替わりによる質的変化があった時期であった為、青年会議所の基本理念や考え方を伝える事が急務でありました。その為の組織改編や事業の信念を継承する為の各事業形態の見直しや新たな事業展開が行われました。
1991年 第28代理事長 福岡 邦彦
スローガン
「21世紀へチャレンジ 奏でよう人・まち・自然のシンフォニー」
この年は、21世紀のプレステージともいえる90年代の幕開けと共に「21世紀へチャレンジ」をテーマに掲げ、活動・運動を展開しました。アンリー・ファルマン機を制作し「日本の航空発祥所沢80周年祭」で飛行機を展示し、「鳥人間コンテスト」に向けての飛行機も作成し大会当日は14.6mの飛行結果となりました。
1992年 第29代理事長 小泉 俊春
スローガン
「ところざわ発!!地球にやさしい ひと・まちづくり」
この年は青年会議所活動・運動を通じて競い合い、お互い認め合う中で一人ひとりが自立し、共に生きる年でありたいという想いから、組織内部の充実に時間をかけた年でした。また、この頃より日本青年会議所が環境問題への取り組みに力を入れており、所沢青年会議所でも「ジュニアーズサミット」を初めとする環境をテーマとして活動に力を注ぎました。
1993年 第30代理事長 井口 一世
スローガン
「伝えよう大きな夢を 創ろう新たな歴史とネットワーク」
この年は所沢青年会議所創立30周年の年でした。記念事業の一環として市民文化フェアでは毛利衛宇宙飛行士をお招きしてご講演いただき「夢を未来へ」と題しての絵画展など航空発祥の地を前面に打ち出した30周年記念の年であり、航空発祥記念館がオープンしたのもこの年でした。
1994年 第31代理事長 鶴田 良孝
スローガン
「時は変革 始めよう 心で創る まちづくり ひとづくり」
前年が30周年という節目の年であった事から、逆にこれから40周年50周年に向けて青年会議所がどうあるべきかを問い質す事を考えながら事業展開を進めた年でした。
市民文化フェアでは航空発祥に因んで「親子ふれあい紙飛行機大会」を開催したのと同時にジャンボ紙飛行機でギネスに挑戦し、日本版ギネスブックに登録される素晴らしい結果となりました。
1995年 第32代理事長 遠藤 源悟
スローガン
「まちに「輝き」ひとに「ときめき」翔けJC熱き心で!」
この年は1月17日に阪神・淡路大震災が起こり、全国の青年会議所メンバー、所沢青年会議所でも多くのメンバーが自主的に被災地に集まり支援活動を行いました。事業においては、所沢市をかたどった世界最大のジグソーパズルを企画・制作し、市民と未来を担う子供たちに「所沢を愛する心」を育てると共に力を合わせる素晴らしさ、友情の大切さ、知り合うことの大切さに気付いてもらい、新しい所沢の魅力に気付いてもらいました。
1996年 第33代理事長 原 勉
スローガン
「まちを愛し 夢を語り 育もう未来のわがまち ところざわ」
この年は不安定な時代の中で「未来を育む」をキーワードとして船出をしました。「過去、現在」の歴史と伝統の守るべき所は守り、これらの未来を自らの力により育てることの出来る運動を展開するという意欲を込めました。事業においては透明ゴミ袋導入に関するPR活動や改訂版「まちづくり指標′96」の作成をし、行政からも高い評価を受け、まちづくりに対し所沢青年会議所の存在を大きくアピールしました。
1997年 第34代理事長 松永 和則
スローガン
「活気あるまち夢のある人 未来に向けてネットワーク パワーアップ」
不況が続く中全ての物事においてパワーを出そうという意味合いから「パワーアップ」という言葉をキーワードに活動した年でした。また、不況のあおりから企業がスポーツチームを支援出来なくなり、スポーツ文化を市民で支えられないかということから、バスケットボールチーム「所沢ブロンコス」を応援した年でもありました。地域に根差した運動を行う事で単に行政任せで行うのではなく、住民参加型の行政を行っていくという発端の時でもありました。
1998年 第35代理事長 市川 雅巳
スローガン
「感動ある21世紀のために 取り組もう自らの意思で 集めよう個々の力を」
「過去に感謝に未来に挑戦!」をテーマに35周年を迎えたこの年は「自分のことは自分の意思でみんなのことはみんなの力で」をモットーに活動しました。21世紀を間近に控えたこの年は「まち」『コミュニティ」「地球」「ボランティア」そして何より「人」をテーマに活動しました。
1999年 第36代理事長 横山 正
スローガン
「未来のために ふるさとのために そしてすべては みんなのために」
この年は2月にダイオキシン報道があり、所沢は日本で最も有名な場所になりました。いち早く声を上げた所沢JCの想いは雪の中でのほうれん草の配布という形になり、全国に安全性を訴えたことはNHKをはじめ、各報道機関で全国放映され、新聞各社にも大きく取り上げられました。
-
2000年 第37代理事長 吉澤 守和
スローガン
「目指そう友愛一生 つくろう美しい未来 個人の英知を結集力にかえて!」
20世紀最後の年、中央省庁改革関連法・地方分権一括法が成立する中で青年会議所として内部の充実・地域社会への貢献、地球市民としての自覚、真の青年会議所運動の基礎を確立した年となりました。市民参加のまちづくりを進めるための講演や環境問題への取り組みを行いました。
2001年 第38代理事長 荒幡 雅一
スローガン
「創ろうコミュニティ 目指そう地域一番 築いていこう21世紀のところざわ」
21世紀のスタートという記念すべき年にはニューヨーク同時多発テロを始めとして、国内外で様々なことがあった一年でした。地球上の多くの人々が「怒り」「悲しみ」を感じ、人類の永遠のテーマである「世界平和」という事を改めて感じさせられた年でもありました。21世紀記念事業としては省エネ・環境をテーマに「ところざわエコエネ共和国21」を開催し、団体や行政、企業と一緒になって一つのものを作り上げていき、今後の青年会議所活動の為のネットワーク構築を行いました。
2002年 第39代理事長 大石 健一
スローガン
「誇りある所沢(ところざわ)づくり 貫いていこう信念を 心を合わせて!」
継続すべきものと変革すべきものを議論し、正しいと思うことに信念を持って実行するという考えのもと青年会議所内のシステム変革を行った年でした。事業においては、改めて「所沢を好きになってもらう」を目的に年間を通じて作り上げた「ラブとこフェスタ2002」で、TISパートナーシップまちづくり研究会の歴史やまちの資産を活かしたまちづくり運動の芽を育てる事が出来ました。また、環境問題にも力を入れた事業展開を行いました。
2003年 第40代理事長 日向 貴一
スローガン
「讃えよう40周年!生み出そう活きる力を!感度良く、感動し、感謝する所沢JAYCEE!」
この年は所沢青年会議所が創立40周年を迎え、記念事業・記念式典が所沢市民文化センターミューズにて行われました。記念事業では市内在住の子ども達を対象に出演者を募集し、ミュージカル「パーフェクトファミリー」が盛大に開催されました。市民文化フェアにおいては所沢名物焼き団子を70mの長さで焼くことにも挑戦しました。
2004年 第41代理事長 鈴木 康雄
スローガン
「新たな一歩を踏み出す時 過去から未来へ つなげ心のライフライン 6つのJC COLORSで」
この年は新たな事業「フラッグ事業」がスタートした年でした。商店街の協力を得てまちの中の街路灯に子ども達が描いた絵をフラッグにして展示しました。商店街のフラッグを見に皆がまちに繰り出し、そしてまちの事を子ども達と市民の方々が改めて考える機会となりました。また、この年の第25回わんぱく相撲大会は新しい市民体育館のこけら落としとして行われ「みんなの心をひとつにする」というテーマのもと、多くのちびっ子力士が参加し盛大に開催されました。
2005年 第42代理事長 土方 良成
スローガン
「ハッスル!所沢のまちに夢や希望や勇気を与えていこう!
この年にはふるさとを愛する心を醸成する為に、ふるさと醸成事業「ところざわ夢あかり音楽会」が所沢市民文化センターミューズにて開催されました。この事業を通し、より多くの方々にふるさとを愛する心を醸成する事が出来た年でした。また、この年は武生青年会議所との兄弟JC締結20周年でもあり盛大に懇親会が行われました。
2006年 第43代理事長 梶原 敏也
スローガン
「人を惹きつけ、感動させ、幸せにする魅力あるまち「ところざわ」まち・ゆめ・人 約束の年 2006」
この年は30年ぶりに埼玉ブロック会員大会が所沢で行われ、航空公園で1800個の風船を空に解き放ちました。また、所沢青年会議所がきっかけで創立した劇団「にこっとちゃ茶」がミューズにて熱演。2008年に宇宙に飛び立った星出彰彦宇宙飛行士に講演をしていただくなどの事業を行いました。
2007年 第44代理事長 植村 元昭
スローガン
「愛することから始まる2007 つなげよう コミュニティー 拡げよう4つの『わ』愛と笑顔が溢れるまち「ところざわ」に向かって!」
この年は大勢の子ども達を始め所沢市民の方々に協力して頂き愛と笑顔が溢れるまちづくりを目指した1年でした。所沢市民文化フェアでは大勢の子ども達がハングライダーで所沢の大空を羽ばたき、体験塾では子ども達にヘリコプターからまちを見てみようという試みや、西武ドームグランドで宿泊をしました。また、夢あかり音楽会を実行委員会に移管した年でもあります。
2008年 第45代理事長 木村 良孝
スローガン
「感謝の心を胸に、今やるべきことを元気よく みんなで創ろう!オラがまち「ところざわ」」
この年は創立45周年を迎える年となりました。市民文化センターミューズにおいて式典が行われ、所沢青年会議所を築き上げてこられた先輩方や我々の活動・運動に対して多大なるご理解・ご協力を頂いた行政関係・各種団体や県内各地青年会議所の皆様に感謝の気持ちを伝え、今後も今まで以上にまちを愛する心と熱い志を忘れることなく活動する事を誓いました。
2009年 第46代理事長 田中 由晃
スローガン
「便利なまちから大好きなまちへ創りだそうSOMETHING 未来へ歩もう仲間とともにすべてはふるさと「ところざわ」のために」
この年は、この時代における青年会議所の役割とは何か、そしてこのまちの顔となるべきものは何か、正にその何か「SOMETHING」をもう一度真剣に考え、日々の活動・運動に反映すると共にまちの人々に発信しました。この年のメイン事業として9月に「WE LOVE TOKOROZAWA ACTIOM2009」を開催し、ご当地グルメ選手権を開催、市民の方々に所沢の食の分野での魅力に楽しみながら触れて頂きました。
-
2010年 第47代理事長 二上 昌弘
スローガン
「誇りと責任を胸に一人ひとりの自覚が明日を変える 未来へ繋ごう活力ある「ふるさと ところざわ」を目指して!」
市制60年を迎える年となり、「ふるさと ところざわ」の将来を見据えた活動・運動を行い、新たな歴史を刻んで行く為に、試練を乗り越える大切さを訴え「武士道」精神といった日本人が本来持っている心の継承を図りました。まちづくりに於いては、ところざわの今後を分析し所沢青年会議所として目指すべき、説得力のあるまちづくりに対しての方向性を示した提言書を所沢市に提出をしました。
2011年 第48代理事長 平岩 敏和
スローガン
「航空発祥100周年 さあ出番だ まちを創る原動力になろう 誰もが住みたい「ところざわブランド」の創造!」
この年はところざわブランドの創造を目指し活動を始めましたが、東日本大震災が発生し、巨大地震、大津波による未曽有の大災害により、予定していた事業を中止する事となりました。所沢青年会議所としては被災地支援をいち早く開始し、路上における募金活動や支援物資を集め被災地に送るなどの活動を、多くの市民の方々のご協力を頂き実施しました。
2012年 第49代理事長 田中 克典
スローガン
「一体感醸成!まちへの誇りを胸に今こそ行動しよう「ふるさと ところざわ」へのアイデンティティの確立」
この年は東日本大震災の翌年という事もあり、世の中が本格的に被災地富鉱に向けて動き出した年でした。青少年事業では「キッズカンパニー KIZUNA」と題し、所沢市の親善大使活動を行いました。また、所沢市内各所をバスで巡る「とことこバスツアー」を行い、うどん作りを体験するなど、所沢の魅力を知ってもらう事業を行いました。その他、兄弟JCの武生青年会議所の50周年記念式典へは多くのメンバーで駆けつけ、より絆を深める事が出来ました。
2013年 第50代理事長 加藤 和伸
スローガン
「『温故知新』50年の歴史に感謝し繋がりから生れる力で、未来を創る新たな一歩を踏み出そう」
この年は所沢青年会議所創立50周年を迎える年でした。所沢市民文化フェアでは昨年度失敗に終わった世界最大の折り紙飛行機の飛行に再挑戦し世界記録を樹立しました。また、50周年記念事業として元プロ野球選手の工藤公康氏をお招きし「未来への懸け橋」をテーマにご講演を頂き、自ら考え行動することの大切さ、様々な方と繋がる事の大切さを子どもから大人まで多くの方を対象にお話し頂きました。
2014年 第51代理事長 井関 克行
スローガン
「利他の心を胸に 『想』をもって踏み出そう!我がまち「ところざわ」の明るい豊かな未来の為に!!」
この年は、このまちに暮らす人々の役に立ちたいという利他の心を意識した運動展開を行いました。所沢市民文化フェアでは実物大のアンリー・ファルマン機を作成し、来場された方々に喜ばれました。わんぱく相撲では埼玉ブロック大会を優勝し、5年ぶりに所沢が全国大会に出場しました。所沢駅周辺の工事予定地を一時的に使用させて頂いて、所沢市内の伝統工芸や音楽の他、B級グルメ等の様々な魅力を発信する事業「とこ博」を実施し、多くの市民の方々にところざわの持つ素晴らしい文化や新たな魅力に気付いて頂けました。
2015年 第52代理事長 三浦 峰高
スローガン
「歴史と伝統に誇りを持って行動!「ところざわ」を日本一のまちにしよう!!」
この年は「ところざわ」を日本一のまちにする為に多くの事業を行いました。所沢市民文化フェアでは市内の子ども達の夢を描いた飛行機のぼりを作成して頂き大空に飛ばしました。また、青少年育成事業においては「キッズフェスタ」を開催し、子供たちに働く意味を伝え、親への感謝の気持ちを育むべく、実際に働いてお金を稼ぎ、親への感謝を伝えるといった内容で行いました。そして、武生青年会議所との兄弟JC締結30周年記念事業を行い、更なる絆を深める事が出きました。
2016年 第53代理事長 武藤 純一
スローガン
継往開来 ~歴史と伝統を胸に、新たな時代を切り拓く~
この年は「ところざわ」を明るく豊かな社会にするために、活動・運動を行いました。所沢市民文化フェアでは「世界最大の折り紙ヒコーキ作成」を実施しました。時間ギリギリまで挑戦を続け、無事世界記録の認定となりました。また、37回目を迎えたわんぱく相撲所沢場所も500名を超える小学生に参加いただき、大盛況に終わりました。
秋には「とこ秋フェスタ2016」を開催し、メンバーが一体となってウォータースライダーを製作するなど、開催された2日間とも私たちの予想を大きく超える参加をいただきました。
所沢青年会議所創立から54年目となる2017年も、私たちは創始の精神を忘れることなく、これからのところざわの明るい豊かな未来の為に活動して参ります。